う〜ん なんか、またブログ更新が1日遅れになっている・・・・・。何度も悔い改めているのに、どっかでサボると必ずこうなっちゃう。書く事がなければ、昨日の分はもういいや!ってなるんだろうけど、幸か不幸か、昨日の分も、今日の分も、書きたいことあるんだよねー。 ![]() とりあえず、今日は昨日(11日)の分の報告ブログ更新とします。 昨日は、横浜都市発展記念館というところへ出掛けてきました。・・・・っといって、もしかしてもしかすると、クマブログを読んでいただいている記憶力の宜しいかたは、この記念館の名前に「聞き覚えがあるなぁ・・・」と感じていただけたかもしれません。 そうです。昨年の11月に、この記念館で「横浜ステーション物語」という企画展示の「前編」を開催しており、クマは下記のブログで「後編も行くぞ!」と宣言していたのであります。 「【101.0Kg】 横浜都市発展記念館「横浜ステーション物語」(前期)」( ← クリックしてね )この「後編」が、1月12日までで終了ということを思い出して、昨日は飛び込みで観に出かけたというわけなんです。 記念館の入り口だよ♪ 東海道線のドアみたいで可愛いでしょー。 ![]() 前回の反省を活かし、今回は手帳とペンを持参して、展示物を観ながら、真剣に、興味深い発見をメモにとりながら、ゆっくり展示を楽しみました。 「前編」との違いとしては、私鉄に関しての展示が増えたことと、一部の展示物に若干の補足が加えられている(?)くらいで、あまりドラスティックな変貌はなかったような気がします。でも、前回に見落としていたところを改めてゆっくり見ることが出来たりして、クマにとっては充実した「社会見学」になりました。 横浜というと、神奈川県の県庁所在地でもあり、政令指定都市です。押しも押されぬ大都市です。 でも、この県は横浜県とはいいません。あくまでも神奈川県です。そして、京浜急行の小さな駅で「神奈川駅」という駅は今でも存在します。なぜ、県名になるほどの駅が小さな各駅停車駅で、横浜が大きな都市なのか、クマはずっと以前から不思議でした。 実は、神奈川という町は江戸時代には東海道の宿場町として栄え、大変賑わった町であったそうです。それに引き換え、横浜は町のはずれの漁村に過ぎず、明治40年の「東海道線旅行図会」という、今でいう路線雑誌にも、神奈川駅〜程ケ谷駅(当時)〜大船駅という路線が書かれており、東海道線は神奈川駅に敷かれておりました。はずれの地域にある横浜は無視されていたそうです。 横浜駅は、当初、現在の桜木町駅のところにあったのですが、やがて、現在の高島町駅のところに移動、2代目横浜駅が誕生しました。その後、昭和になって、3代目横浜駅として、神奈川駅のすぐ近くに横浜駅が移設され、その結果、国鉄(当時は省線と言ったそうです)神奈川駅は廃止されたのだそうです。当時、廃止に反対する住民運動が起こったという記録が残っています。 神奈川県の県庁所在地が「神奈川」ではなく「横浜」なのは、そういう理由があったんですね。 1930年代に、東京〜神戸間に超特急「燕(つばめ)」号が登場した際も、当初の停車駅は、東京、名古屋、大阪、三ノ宮、神戸であり、横浜は外されていたそうです。横浜商工会議所などの決死の陳情の末、ようやく横浜も停車駅のひとつに加えられたとのことですが、この時そのまま泣き寝入りしていたら、新幹線は新横浜に停車しなかったかも知れませんね。 この企画展示のなかでは、横浜の町を縦横無尽に走り回る「横浜市電」(路面電車)についても様々な写真や資料が示されており、クマがこの世に生まれたときには既に存在しなかった横浜の路面電車に想いを馳せることが出来ました。 そんな感じで、鉄道の歴史を通じて、神奈川県の歴史までも学ぶことができるという、大変意義深い企画展示だったと思います。今後も、こういう展示があれば、また見学に来たいものです。 記念館の受付で、懐かしい「横浜銘菓 有明のハーバー」を1個購入♪ これ、子供の頃からの大好物なのです。マロン風味がなんとも言えず上品なんだよね。 さて、かなり長い前置きでしたが、実は題名にもあるように、この日の本題は「歩き倒し企画」でした。 展示で観たように「神奈川」という、県名にもなっているほどの地区が、今では「横浜」にすっかり天下を掠め取られてしまい、豊臣秀吉の時代に細々と生き延びた織田家みたいに、情けない状況になってしまっていると感じたクマは、その「神奈川」をウォーキングしてみることにしました。 京浜急行にその名を残す「神奈川駅」です。 この駅、はっきり言って、とってもチッコイです。駅のホームも幹線道路の歩道程度の幅なので、多くの乗降客がいるようだとかなりキツイんじゃないか?という印象です。とても、県の名前のついている駅とは思えません。「盛者必衰の理」を感じます。その「神奈川駅」から「神奈川宿歴史の道」という散歩コースに沿って、横浜方面に歩いていくことにしました。 青木橋という橋を渡り、小高い丘を登ると、すぐに「本覚寺」という、こじんまりとしたお寺に行き着きました。 ここ、アメリカ領事館跡でもあるんですって。今年、2009年は横浜開港150周年。150年前、この寺をハリス自ら領事館に選んだのだそうですが、その理由として、このお寺が丘陵上にあり、横浜を眼下にできることと、渡船場に近く、湾内を見渡すことが出来ることが重要視されたのだそうです。でも、今は四方八方、見渡す限りビル群ばっかりで、海なんて見えませんでした。風情のないことです・・・・・・。 本覚寺を出て、さらに山道を登っていくと、高島台と呼ばれる高台の一角に出ます。 この高台を30分以上もぐるぐる散策したクマです。かつて、アメリカ領事館のひとたちも、この高台を散策しながら、横浜の景色を遠く眺めたに違いありません。ただ、この高台も、今ではすっかりマンションが立ち並び、ベッドタウン化してしまっているため、ごくごく普通の路地散歩をしているに過ぎない感覚です。でも、時折、歴史的な石碑などを、住宅地のなかに発見したりすると嬉しいものです。 やがて、高台から急勾配の坂をぐんぐん下っていくと「神奈川台の関門跡」という石碑がありました。 碑文を読んでみたのですが、横浜開港後、外国人が殺害される事件が続いたため、各国領事の非難を受けて、幕府が不審者を取り締まるための警備体制を強化、そのために設けられた番所なんですって。 また、台町と呼ばれるこの地には、「東海道中膝栗毛」で有名な弥次さん、喜多さんが立ち寄った茶屋が存在し、今でもその跡地に料亭が存在しておりました。 「神奈川」は確かに都市としては完全に廃れてしまっていて、ごく普通の小さな町に過ぎない状況ですが、こうして散策してみると、かつて東海道の宿場町として栄えた歴史の重みを、そこはかとなく感じることができる上品な町なみだというのが、クマの率直な感想です。 この「神奈川宿歴史の道」は、今回、神奈川駅〜横浜駅間しか散策できなかったですが、これでも全コースの半分くらいなのだそうです。また、残り半分も、いつか歩いてみたいと思います。 【INPUT】(食事) 【OUTPUT】(運動) 【 1月11日:100.0Kg(体脂肪率:31.4%)】 |
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